ショパン 【歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第67回】<br />女好きだったか!? 恋愛に一途か? バカだったか? 賢かったか!? |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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ショパン 【歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第67回】
女好きだったか!? 恋愛に一途か? バカだったか? 賢かったか!?

歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第67回~ショパン~

【2月22日生まれと3月1日生まれの違い】

①女性関係が豊富であったかどうか。2月22日は恋愛好き、女性好きで恋多きタイプ。一方、3月1日は一人の女性を愛し続ける一図なタイプ。

②頭がよかったかどうか。2月22日は知性を持っていないためあまり考えずにすぐに行動に移すタイプ。3月1日は「印綬」を持っており、学校の勉強がよくでき、物事を論理的に捉えるタイプ。

③自分強くを持っていて曲げないタイプだったか、あるいは人の意見を聞けるタイプだったか。2月22日は頑固な職人気質で一匹狼だったが、3月1日は他人に意見に耳を傾け、組織をまとめられるリーダータイプ。

④真面目な性格だったかどうか。2月22日は多少誠実性も見られるがどちらかというと浮気性が疑われるような責任感のないタイプ。一方、3月1日はとっても真面目で責任感が強く誠実性も高い。

⑤何を目標に生活していたか。2月22日はどちらかというと今世にとらわれお金稼ぎに興じた可能性があるが、3月1日は前世と来世のために生きている、今世にとらわれていないイメージ。

以上の5点に焦点を当てて、ショパンの生年月日について考察していく。

聖十字架教会内の本堂左手前の石柱にはショパンの心臓が収められている。

①ショパンの女性事情について

 ショパンは生涯独身であった。しかし、女性と遊んでいた…というよりは一図であり、一人の女性を愛し続けるタイプだったようだ。

 ショパンの初恋は、同じ学院で学ぶソプラノ歌手のコンスタンツィア・グラドコフスカだったと言われる。1829年、ショパンは友人への手紙でコンスタンティアへの恋を打ち明けている。しかし、彼女はモテモテで取り巻きも多かったようで、この恋は成就することがなかった。なお、そんな叶わぬ恋心によって、ショパンの2つの協奏曲(ヘ短調のピアノ協奏曲とホ短調の協奏曲)を作曲している。

 その後、1835年の夏、ショパンはドレスデンで知り合いのヴォンジスキ伯爵一家と会うが、伯爵令嬢であるマリアにショパンは恋をする。数日の滞在後、ショパンは別れ際にマリアへ変イ長調のワルツを贈った。翌年の夏にはマリアにプロポーズし婚約までするが、マリアの両親の反対にあい、その翌年に破談となってしまった。ちなみに、ショパンはこの頃、変ロ短調のスケルツォや、ピアノ・ソナタ第2番の第3楽章になる葬送行進曲を作曲した。

 1836年の秋、マリアとの婚約が破談になる少し前に、ショパンはリストらとの夜会でジョルジュ・サンドと出会った。この女性の存在は多くの人は知るところだろう。サンドは葉巻を吸い、ズボンをはくという、当時においては風変わりな人物で、ショパンは当初「本当にあれが女か?」と話したという。しかし、この夜会後、ショパンとサンドは親交を重ねることになる。二人の仲は一気に深まりパリで共に生活し、夏をノアンで過ごした。なお、サンドとの良好な関係で生まれた作品には、「英雄ポロネーズ」「ピアノ・ソナタ第2番」「24の前奏曲集」がある。しかし、そんな2人の関係にも亀裂が生じる。最初の衝突は1845年の夏。そして、1846年、二人の仲はもはや修復不可能なものとなり結局別れに至ってしまった。しかし、それでもショパンはサンドのことを忘れることはできなかった。ショパンは死ぬまでサンドの髪の束を自分の日記にはさんでいたという。なお、そんな辛い日々の1846年、ショパンは幻想ポロネーズ、舟歌を作曲している。

 生涯独身だったショパンだが、女性好きで手当たり次第に手を出して決めきれなかったというよりは、独身だったというのは結果で、一人の女性と決めて一図に愛し続けるタイプだったと言えるのではないだろうか。恋心が作品に影響を与えているというのは非常に興味深い。

➤恋愛においては、一図に女性を愛するという3月1日説が有力のようだ。

 

②頭のよさについて

 音楽的な才能は小さい頃から持ちあわせていたらしい。母・ユスティナは達者にピアノを弾き、まず長女のルドヴィカに手ほどきした。ほどなくしてショパンも母や姉を真似て鍵盤を触り始めた。その様子を見て、まずルドヴィカが弾き方を教えてくれたが、ショパンはたちまち姉を追い越してしまう。次に彼を教えた母もすぐに本格的な教師の必要性を痛感し、ボヘミア出身の音楽家・ヴォイチェフ・ジヴニーにレッスンを頼んだ。このジヴニーが名教師だったそうで、ショパンは質の高い教えを瞬く間に吸収し、7歳のときには最初の作品「ポロネーズ ト短調」と「ポロネーズ 変ロ長調」を作曲した。前者は出版され、ワルシャワの大きな話題となって新聞紙上でも紹介され、「ワルシャワのモーツァルト」としてあちこちのサロンから招かれて演奏を所望されるようになった。

 学校のお勉強のほうはどうだったかというと、頭の回転が速く学問で困ることはなかったという。もちろん、学校の成績も悪くはなかった。ちなみに、興味があるのは、文学と歴史で、数学、理科、ギリシャ語、ラテン語の授業は退屈でお絵かきをしていたという記録が残る。ちなみに、このお絵かきも完ぺきだったようで、リンデ校長先生の似顔絵を描いている最中、当の先生に見つかり絶体絶命となったこともあったが、先生はなんと「肖像画の出来良し」というコメント付きで返してくれ、事なきを得たという。

➤頭のよさにおいては、「知性」の星を持っている3月1日説が有力のようだ。

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妃萃(本名:油川さゆり)

ひすい

青森県八戸市出身。慶應義塾大学 社会学研究科 教育学専攻 修士課程修了、同研究科 同専攻 後期博士課程在学中。2013年鳥海流・鳥海伯萃より四柱推命の指南を受ける。これまで500人以上を鑑定。多数の弟子を輩出。

元放送局報道記者。フリーアナウンサーとして、BS11の番組にレギュラー出演しているほか、ナレーターや司会として活動中。日本の歴史、伝統芸能を伝えるため、歴史勉強会、その他イベントを主宰。自身も大和言葉、辞世の句、武田氏と油川氏等について講演活動を行う。合同会社真己、共同代表。また、2016年6月から「カミムスヒ」というソングユニットで歌手活動を開始。手話検定3級、ホームヘルパー、視覚障害者ガイドヘルパーの資格を持ち、社会福祉活動に積極的に携わる。


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